広島に投下された原爆で亡くなった折免(おりめん)滋君(当時中学1年、13歳)の遺体とともに見つかった弁当箱の献立が、被爆から60年を経て再現された。
弁当箱の中で炭化したおかずは、親子のきずなと惨劇を伝える資料として絵本の題材にもなった。
弁当を食べずに逝った滋君の無念を追体験してもらおうと、滋君の弁当は、平和学習で広島を訪れる修学旅行生らに提供される。
YOMIURI ONLINE
現物を、ご覧になられましたか?
弁当だけではなく、数多くの想いが今でもあの場所に・・・。
以下、続きです。
滋君は1945年8月6日朝、学徒動員で建物疎開の作業中に現在の広島市中区中島町(爆心地から約600メートル)で被爆。遺体は3日後、母親のシゲコさん(故人)により見つけられた。熱線で黒こげになった弁当箱を、おなかの下で抱えるようにしていたという。
弁当箱は62年、シゲコさんが広島平和記念資料館(広島市)に寄贈し、同館に展示されている。献立は、押し麦と大豆の混ぜご飯、ジャガイモと切り干し大根の油いため。
材料は、滋君が出征中の父や兄に代わって開墾した畑で収穫した野菜で、滋君は、お昼ご飯を楽しみにして出かけたという。
資料館はシゲコさんの証言を基に、同市中区の「ホテル法華クラブ広島」に献立の再現を依頼した。ホテルでは平和学習で広島を訪れる修学旅行生らに限り、申し出に応じ、再現した弁当を提供する。
資料館の担当者は「おいしいとは言えないかもしれないが、二人の思いを胸に、戦争の悲惨さをかみしめてほしい」としている。
