電車脱線 私の中の第一報

25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市潮江4丁目のJR宝塚線尼崎―塚口間の第1新横枕踏切(警報機、遮断機あり)付近で、宝塚発同志社前行き上り快速(7両編成、乗客約580人)が脱線し、前から3両目までが脱線した。1両目は線路脇の9階建てマンション(約40世帯)の1階部分に突っ込んで「く」の字形に大破し、2両目は線路脇に横転した。兵庫県警によると、午前11時半現在、乗客ら16人の死亡が確認され、負傷者は約200人に上るという。


asahi.com

※記事の最初の引用時刻は12時頃。



県警によると、死者は男性10人、女性6人という。けが人は兵庫医科大病院(西宮市)や尼崎中央病院(尼崎市)などに運ばれており、ほかの病院も含めると、搬送されたけが人だけで140人以上になるという。

県警によると、事故車両には、高見隆二郎運転士(23)、松田正俊車掌(42)が乗務していた。列車は第1新横枕踏切の200メートルほど手前のカーブで、単独で脱線。その後、駐車中の乗用車に衝突し、マンションに突っ込んだという。

JR西日本によると、快速は午前9時14分ごろ、一つ手前の伊丹駅で所定の停車位置から20メートルほど行き過ぎて停車。このため同駅の発車がダイヤより約1分半遅れ、事故現場付近を通過した際には、スピードを上げて遅れを取り戻そうとしていたという。現場は時速70キロの速度制限区間だった。

同社によると、通勤ラッシュ時間帯からは少し時間がたっていたが、車内は座席は乗客で埋まり、立っていた人も多数いたという。


現場はJR宝塚線の線路が尼崎駅方向に向かって緩やかに右にカーブしている。カーブの正面左側の線路脇にマンションが立ち、その1階部分に車両3両が折り重なって、めり込むようにして突っ込んでいる。1両はマンションの角で折れ曲がり、ぐちゃぐちゃにつぶれている。火災が起きたような焦げた跡も見える。

そのかたわらに救急車や消防車が乗り付け、救急隊員や消防隊員ら数十人が担架でけが人らを次々に運び出して、線路脇に広げたブルーシートに横たえている。午前10時現在でも、1階にめりこんだ車両にはしごをかけ、中から乗客を救出しようとしている救急隊員の姿が見える。線路のかたわらでは白い乗用車が大破している。


通勤途中だった朝日新聞社員の三国谷勝寛さん(55)によると、乗っていた4両目は、ラッシュをすぎていたものの座席は埋まり、立っている人もいた。「ガガガッ」と大きな音で速度が急に落ち、立っている人が倒れ、乗客の体が大きく揺れた。

扉がすぐに開いたため外に出ると、7両編成の快速電車の前の車両が進行方向左側に脱線、横転。1両目の車両が線路沿いのマンションに衝突し「く」の字に曲がっていた。3両目は右側の電柱に接触してとまっていた。2両目は1両目と3両目の間に横転していた。

横転した車両付近では「助けて」と車内から助けを求める声や泣き声が聞こえた。頭や足から血を流した人が周囲を歩いている。現場に救急車やパトカーが集まる中、けがをしながら携帯電話で家族や会社に無事を知らせていた。ある高齢の女性は線路わきで放心状態で横たわっていた。血まみれの乗客が担架で次々と運び出された。

同快速電車は、事故の直前、停車するはずの伊丹駅を200メートルほど行き過ぎて止まり、引き返していた。これ以外に異常は感じなかったという。三国谷さんは「最初は急ブレーキだと思った。こんな大きな事故になるとは」と話した。


事故現場付近地図


何か理由があって記した、何かの法令の綱領より。


・安全の確保は輸送の使命である。

・規定の遵守は安全の基礎である。

・執務の厳正は安全の要件である。


(14時20分訂正:上記引用元は久保田博『鉄道重大事故の歴史』グランプリ出版 2000)


「10人以上死亡の脱線事故、71年の近鉄特急以来」

(asahi.com)


〔追記〕(12時50分)


事故の衝撃を激しく受けているひとへの遠慮無き取材。


競って事故の様子を上空から撮るべく

被害に遭われた方の声をかき消すが如く飛んでいるヘリコプター。


いい加減にしろ、馬鹿が。


〔追記2〕(14時20分)


次の言葉は、1956年(昭和31年)10月15日に起きた参宮線の列車衝突事故時に、急遽現場に馳せつけて、悲しみにくれている遺族を前にして、涙とともに詫びられた当時の十河信二国鉄総裁のあいさつである。

「まったく申し訳ありません。今度の事故はすべて国鉄の責任であります。私の至らぬために起こった不始末ゆえ、皆様に対してお詫びの言葉がありません。ご遺族の方々には出来るだけの努力を払ってお慰めすることをお誓いします。また、このような事故を再び繰り返さないよう、万全の処置を講じる覚悟であります。亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。」


(久保田博『鉄道重大事故の歴史』グランプリ出版 2000)


JR西日本の方々の会見と、比較せずにはいられない。

関連している?投稿@Simple Tags

Author: 番記者O on 2005年4月25日
Category: news
タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , ,

Leave a Reply

Last articles