8月22日のTOKYO UNITEDを聴いて思ったこと

2008/8/22高円寺阿波おどりのHidden Story


JR高円寺駅、、、8月に入ると、各駅停車のホームにはこのメロディが流れます。高円寺阿波おどりの開催日まで、阿波踊りのおはやしが乗降客の耳に響くのです。


「おはやし」では、ありません。
「ぞめきばやし」、です。



今年は 今日が前夜祭で、明日とあさってが本大会。1万人の踊り手に、120万人もの観客が高円寺に集います。今や、東京の夏を代表するイベントになった高円寺の阿波踊りですが、徳島のものである阿波踊りがなぜ高円寺でおこなわれるようになったのか?その誕生は、1957年の夏。商店街の店主たちは、こんな風に考えたのです。

高円寺というのは縦長の商店街で、、、商店街は夏なんて暇なんですよ。で、何か地元のお祭り、、、人集めのイベントは何かないかと。当時となりの阿佐ヶ谷駅で七夕祭りというのをやっていて七夕といえば宮城の仙台ですよね。北のものです。じゃあ、高円寺は南のものが何かないかと。で、徳島の阿波踊りはどうだ?ということで始めたんです。

NPO法人東京高円寺阿波おどり振興協会の平野治彦さんは少し照れながらこう続けました。「当時、発案者たちの中に、徳島の阿波踊りを見たことがある人は誰ひとりいなかったんです」。ゆえに、おはやしは全く見当違いの「佐渡おけさ」が演奏される始末。せっかく産声を上げた阿波踊りでしたが数年後には、「続けるべきかどうか」、、、存続に疑問が投げかけられました。

未だに語り継がれていますけど、役員会で投票をしまして1票差で翌年も続けることが決まったんです。それで、やるからには、ということで、見たことも聞いたこともないものが続いてたわけですよね。で、阿波踊りは徳島のものですから、「徳島」という名前がついたものは何でも追いかけました。ちょうどその中に、江東区の木場というところに徳島県人会の人たちが「連」を作ったんですよ。阿波踊りの「連」を。それでそこに習いに行ったんです。

時は昭和30年代後半、日本の経済成長と足並みをそろえるように、高円寺の阿波踊りは徐々に本格的なものへと進化していくことになります。今年で52回目を数える高円寺阿波おどり。初めての開催から10年以上が経過した1970年代、、、踊りのグループ「連」の数も増え、規模も拡大していきます。NPO法人 東京高円寺阿波おどり振興協会の平野治彦さんはそのころのことをこう振り返ります。

三つの商店街の努力というか、みんなやる気に満ちてましたから。古い商店街ですからみんな顔見知りなんですよ。それで、地元の小学生、高円寺生まれの高円寺育ちの小学生もいっぱいいましたからね。生まれて気がついたら その街に阿波踊りがあった、という子供もたくさんいたんですよね。

元気な商店街に響く子供たちの明るい声。高円寺の阿波踊りは 昭和の風景の中で加速していきます。中央線の高円寺付近が高架になり、南北の商店街が踏切を渡らずに行き来できるようになったこと。さらに、駅からのびる道路が幅18メートルの広い道路になって大きな会場を確保できるようになったこと。いくつかの幸運と、街の人の熱い想いが夏の風物詩を築いていったのです。そして、自らも「江戸っ子連」という連を率いる平野さんが強調したのは、阿波踊り自体が持つ魅力。

根本には、人間が鐘をたたいて、太鼓をたたいて、三味線をひいて笛をふいて、生きている人間がその音にあわせて踊るというのが、生音で踊るというのが最高の魅力だと思います。それこそ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ見るなら踊らにゃ損損、というあれは本当に言い得て妙というか、阿波踊りは徳島が生んだ最高の郷土芸能ですね。いろんな変化がありますけどね、それはもう今の時代とともに変化していく。それはそれでええやないかという。

「時代とともに変化していく。それはそれでええやないか」平野さんは徳島の言葉でそう話してくれました。昔は子供たちも多く参加していた阿波踊りですが、、、最近は少子化に加えて、夏休みの子供たちは忙しく途中でやめていくパターンが多いとか。また、かつては顔見知りのお店ばかりだった商店街にはチェーン店が増え、協力を得るのが難しくなっている事実もあります。しかし、、、高円寺で阿波踊りに携わる人々には信じていることがあります。 それは、、、

何十年もね、私みたいにやる人間。高円寺にはいっぱいいるわけです。何かその、うまく言えないんだけど、メッセージを出している気がするんですよ。メッセージをお客さんに伝えてるからお客さんも盛り上がって。お客さんが立ち上がって手拍子打っちゃうんですよ。どこの連でも終点くらいになるとお客さんが手拍子打つんです。何かのメッセージを見てる人に伝えてる気がするんですよね。

人間が音楽を奏で、それにあわせて人間が踊る。生命力が体じゅうからほとばしる瞬間。 それが 見るものを引きつけるのです。52回目の夏。 高円寺の暑い夏の夜が始まります。


ふむ。
「徳島でも阿波踊りをやっているんですか?」とのたまう御仁必見ですね。

まぁ、最近は少し違うことも考え始めているんですけどね。
「本場」か否か、そういうことで応酬しても仕方が無い。
阿波踊り全体の今後を真剣に考えなければならないのかなぁ、と。

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Author: 番記者O on 2008年8月24日
Category: awa dance
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2 responses to “8月22日のTOKYO UNITEDを聴いて思ったこと”
  1. 奈菜 より:

    それだけ歴史があるなら、そこも本場ですね。
    どこどこのものだから、違う土地ではやってはいけないなんてことはないと思うです。伝えて行って欲しいですね。

  2. 番記者O より:

    結構寛容だと思うのですよ、阿波踊りって。
    二拍子のそめきばやしに手を上げ足を出せば、それでいいのですから。

    平野さんは、昨年の「阿波踊りサミット」で、「高円寺から見た徳島は?」と問われ、「メジャーリーグ」であり「あこがれ」であると仰られています。この件、遅筆の極みの参加記で記さねばならない点ではありますが、そうであったりなかったりだと思うのです。
    「本場」であることに胡坐をかくことは出来ないし、「新進」であるが故の勢いだけでは頓挫する。
    東西の阿波踊り関係者が、もっとおおっぴらに語り合えればいいのですが・・・。

    高円寺も南越谷も、或いは大和も、十分歴史を重ねています。
    それぞれが、関東の踊り手にとっての「本場」なのでしょうね。

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