昨日は「ありがとう0系新幹線」の日だった様子。
で、以下東から西へと記事を追って・・・。
神戸新聞「『団子っ鼻』目に焼き付けて 0系新幹線定期運転終了」
一九六四年に登場し「夢の超特急」と呼ばれた初代新幹線「0系」が三十日、定期運転を終了した。新神戸や姫路など兵庫県内の停車駅にも別れを惜しむ大勢の家族連れやファンらが訪れ、雄姿を目に焼き付けた。
(中略)
JR西日本によると、この日は新大阪午前七時五十九分発の「こだま639号」が自由席乗車率129%を記録。新神戸、西明石駅に約五百人、姫路駅には約三百人のファンらが詰め掛けた。(以下略)
1964年にデビューし「夢の超特急」と呼ばれた初代新幹線「0系」が30日、営業運転から引退した。
JR三原駅(三原市)では、駅員や鉄道ファンらがホームで、最終便との別れを惜しんだ。最終便となる岡山発博多行きの「こだま」(6両編成)が午後3時42分ごろ、三原駅に到着。鉄道ファンや家族連れが先頭車両の「顔」を撮影していた。発車の際は、ホームに並んだJR西日本三原地域鉄道部の社員ら約80人が、車両に向かって一斉に敬礼した。
「夢の超特急」と呼ばれ、1964年に登場した初代新幹線「0系」が30日、定期運転を終え、JR博多駅で最終列車の到着とともに終了セレモニーがあった。この日1日、各停車駅には多くの鉄道ファンが詰め掛け、44年の歴史に幕を下ろす「流線形」を目に焼き付けた。
午後6時24分、最終列車となった岡山発「こだま659号」の6両が14番線に入ると、ホームを埋めた約1000人のファンから一斉にフラッシュが瞬いた。ホームでの終了セレモニーでは、JR西日本の嶋哲久福岡支社長が「日本の大動脈として、高度経済成長を支えてくれた」とあいさつ。乗客の下車後、列車は車両庫のある博多南駅へ。ファンから「ありがとう」の声も飛んだ。
0系は東京五輪開幕直前の64年10月、東海道新幹線の開業と同時に登場。当時世界最速の時速210キロを誇った。75年3月の山陽新幹線全線開業で博多駅に乗り入れた。3216両を製造。延べの走行距離は、3月末までに地球の9000周以上にあたる3億6000万キロに及ぶという。
12月6、13、14日に臨時列車として運行されるが、乗車券は既に完売。その後は解体される予定。
同「高度経済成長のシンボル 0系よ 永遠に 庶民の夢 けん引 最後の『出発進行』」
「ありがとう」「お疲れさま」。引退する初代新幹線「0系」への鉄道ファンの歓声が響くJR博多駅ホームで、万感の思いがこみ上げた。山陽新幹線全線開業以来、33年間にわたって業務に携わった新幹線博多駅長の田中龍也さん(56)。30日の終了セレモニーでは車両庫に向かう最終列車に発車合図を出し、「新幹線の信頼を支えてきた0系に感謝したい」と、ともに歩んだ“夢の超特急”をねぎらった。
田中さんは山口県下関市出身で、旧国鉄職員として働く父親の影響で1961年に同じ道に進んだ。0系との出会いは新幹線が博多駅に届いた75年、車両メンテナンスを担当する新幹線総局博多総合車両部に配属されてから。「真っ白で美しく、大きな車体。初めて見た時は圧倒された」
約1800人いた総合車両部の勤務員のほとんどが最新機器を備えた新幹線は初めてで「上下の関係がなく、みんな一から勉強し直した」。酒席でも、作業について熱い論議を交わしたという。遅れればダイヤに影響を与えかねない厳しい点検作業だったが「最先端の仕事をしている誇りもあり、楽しかった」と語る。
11年8カ月の車両部の勤務後も博多駅助役、小倉駅長などとして新幹線とともにいた田中さん。「100系」や「のぞみ」などが続々と登場したが、つい目で追うのは0系の「団子っ鼻」だった。日本の高度成長期のシンボルであり、その“速さ”で44年間にわたり庶民の夢を引っ張った。「兄弟を見守る感覚かな。思いは一番強い」
博多南駅の車両庫に向かう最終列車に発車合図を送るため、ホームに立った。「出発進行」。帽子を目深にかぶり、右手を進行方向に向けた。「よく頑張ってくれた。お疲れさま」。車両が見えなくなるまで見つめていた。
一時の、無責任な感傷からつい、このエントリーを・・・。

未だに、新幹線と言ったらこの形を思い浮かべます。
これと、この次のが個人的に馴染み深いです。
「のぞみ」の無い頃、西へ東へ大変お世話になったものです。