皆生温泉(鳥取県米子市)から、浜田市(島根県)まで走りました。
走行距離は186キロメートルです。
詳細は、早ければ8日朝に(汗
〔追記〕(10月8日6時30分記す)
以下、とりとめもない「詳細」です(汗
ひとりで放浪するのだから、無理をする必要は無い。
急がず抑えず、走ればよい。
何か観たくなれば観に行くだけ。観たくなければ、通り過ぎるだけ。
大手私鉄のスタンプラリーではないのだから、各駅停車で進む義務は無い。
走破するのが目的ではないのだから、走行距離ばかり稼ぐ必要は無い。
とはいえ、久々の放浪なので試行錯誤の連続となりそうだ。
オートバイで駆け巡っていた頃は、その日の真昼過ぎに宿や露営地を決めていた。昼食を堪能しつつ地図やガイドブックを見、これから進む道を考え、時にはひとに訊ね、検討していた。その日何処に行くのか昼まで決めないことで自分自身を拘束しないようにしていたような気がするし、一種スリルを楽しんでいたような気もする。電話で宿泊の可否を問い合わせるまで其処に泊まることが出来るかどうか分からず、その電話をかける度にクイズの正解不正解を問うかのような緊張感を得ていたのだけれども、今から思えばそれは一種自虐的な楽しみ方の一つだったのだろう。
今回今のところは、その日の朝の出立前に宿を決めている。昔と比べると、保守的になったのかもしれない。
ただ移動するだけなら、結構遠くまで走れるような気がする。
以前のことで僅かに覚えているのは、移動に専念した日に300キロメートルから400キロメートル程度を走っていたということだ。一方で、物見をしながら走った日の移動距離がどれほどであったか思い出そうとしても、思い出すことが出来ずにいる。
まずは様子見である。200キロメートルを目安に、走り始めてみた。
時折雨が降る中、風に吹かれて走った。
今が10月であるということに、出雲の街を後にしてから気付いた。
陰暦の、神無月。走っている辺りでは、神在月。
気が変わり、車の向きも変わった。向かうのは、出雲大社。
初めて出雲大社を訪れたのは、運転免許証に手が届かない年端の時だった。
今に至るまで、何度参拝しただろう。詳細を、今は思い出せない。
次に来るのが何時になるか分からないから行くのではなく、なんとなく向かう。
「神無月」と「神在月」の対比が気になったという、それだけのこと。
一つ加えると、車の中に多量のお守り類が載っている。
出雲大社には、納札所があったはず。お返しする機会、とひとりで勝手に合点する。
そのお守り類の中に、出雲大社で授かったものはひとつも無い訳ですが(汗
標識に従って緑の中の道を暫し進み、廃止された駅を横に見ると、もう門前である。
昨年の今頃は、テレビの画面の向こうにある出雲大社を見つめていた。
生まれて初めて、「朝ドラ」を全て見た。そんな自分自身が、今でも不思議なのだ。
幾つかのシーンを思いながら、敢えて玉砂利を踏み進んだ。
現在工事中、なのである。
それもまたよし、なのかもしれない。
神在月に工事をしている場所で、こちらはひとり。
全国の神々がオフ会で集まっている、その前にひとりでいる。
うっすらとそんなことを考えつつ、ぎこちなく参拝した(汗
納めた代わりに、新たなお守りをいただく。
この先の、交通安全を願いながら。
この先、暫くは日本海に沿って西へ向かうことになる。
無理せず、急がず、抑えすぎずに・・・。
随分と罰当たりな私に、罰が当たらねば幸いと思う次第です(汗
