野村克也さん お疲れ様でした

2005年に、「田尾安志さん 有難う」というタイトルでエントリーしたのを思い出してしまいました。
野村監督の胴上げの中継を見ていて、目から何かが出てきて・・・。


最近のasahi.comは記事本文を残すようにしているらしいのですが、以下関連するところを。

日本ハム、日本シリーズ進出 2年ぶり


プロ野球パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)の第2ステージ(6試合制)、日本ハム(リーグ1位)―楽天(同2位)の第4戦が24日、札幌ドームであり、日本ハムが9―4で楽天を下し、2年ぶりの日本シリーズ出場を決めた。
先手を取ったのは日本ハム。1回、森本、稲葉の2連打と高橋の四球で1死満塁とし、スレッジの中犠飛で1点を先行した。続く2回には、田中の適時三塁打で1点を加え、森本の左越え2ランで4―0とした。
楽天は4回、ここまで完全に抑えられていた日本ハム先発の藤井を攻略。セギノールの適時打と宮出の2点適時打で3点を返し、1点差に詰め寄った。
日本ハムは7回、高橋の安打と盗塁で1死二塁とし、スレッジの右前適時打で1点。さらに鶴岡の適時内野安打で加点した。
粘る楽天は直後の8回、1死一、二塁から、セギノールの右前適時打で1点を返した。
日本ハムは8回、安打と四球などで2死二、三塁という好機をつくった。ここで、楽天は6番手投手に第2戦で先発した岩隈を投入したが、スレッジが試合を決める右越え3ランを放った。
2年ぶりにパ・リーグを制した日本ハムは、4年連続のプレーオフ(07年からCS)進出。一方の楽天は、球団創設5年目で初のCS出場を果たし、第1ステージでソフトバンク(リーグ3位)に2連勝して第2ステージに駒を進めた。
日本ハムは第1戦で、9回の4点差をひっくり返すスレッジの逆転サヨナラ満塁本塁打で波に乗った。第2戦は、楽天のエース・岩隈に投げ勝ってアドバンテージの1勝と合わせて3勝とし、日本シリーズ出場に王手をかけた。第3戦で楽天の田中に完投勝利を許したが、第4戦で再び終盤の破壊力を見せつけた。



「照れくさいやろ」野村監督、ぼやいて締めた24年間


74歳の老将のもとへ、楽天と日本ハムの選手たちが集まり、胴上げが始まった。その体が5度、宙に舞う。
「照れくさいやろ。まあ、日本ハムにも稲葉とか一緒にやった連中がいて、お別れをしてくれた。感無量というか胸が詰まった。『野球屋』みょうりに尽きる」
楽天の野村克也監督が24日、計24年間に及んだプロ野球監督生活に終止符を打った。
日本ハムの稲葉篤紀選手や吉井理人コーチはヤクルト時代の教え子。「縁を持った人がユニホームを着て頑張っているのは喜ばしい。人間、『人』を残すのが一番。少しは野球界に貢献できたかな」
05年12月2日。創設1年目に97敗した新球団・楽天の監督に就任した。寄せ集めの弱小チームに「考える野球」を植え付け、就任4年目の今季はリーグ2位に躍進した。
短期決戦でも名采配は健在だった。しかし、最後はクライマックスシリーズ(CS)慣れした日本ハムに屈した。「気配を読み、スキを突いてくる。それが日本ハムとの差。野村の教えは(楽天に)全然浸透していない。もう1年やらせてもらいたかった」。いつまでも、ぼやき続けた。
「王や長嶋がヒマワリなら、おれはひっそりと咲く月見草」。現役時代、注目されないパ・リーグを嘆いた。いま、低迷する球界を盛り上げようと、毎日テレビカメラの前に立ち、ぼやき、時に鼻歌まで歌った。
このCSの注目度は、セをはるかに上回った。試合前、群がる報道陣を眺め、満足げにつぶやいた。「時代は変わるもんだな。今やプロ野球と言えば楽天だ」。もちろん、毒舌も忘れない。「来年からは巨人に戻るだろうけど」
07年の開幕前。選手、ファンへのメッセージで書いた。「世の中を、あっと言わせてやろう」。就任から1423日。老将の願いは確かに、届いた。優勝という「宿題」は、教え子たちに受け継がれていく。



「人間何を残すか。人を残すのが一番」野村監督一問一答(1/2ページ)


日本ハムに敗れ、退任が決まった楽天・野村監督との一問一答は次の通り。

(テレビカメラに向かって)「敗戦監督に話があるのか。就職お願いします。明日から浪人です」

――試合を振り返って
「間違いだらけの第2ステージ。後悔ばかりしている。まず、先発投手の選択を間違った。迷わざるを得ない。これがチーム事情。信頼、信用していないというのが以心伝心で(藤原に)伝わっちゃうんだな。(彼は)責任を感じて登板していたが、それを生かさず、殺してしまった。選手に謝罪しなきゃいけない。長い経験をしているのに、おわびのしようがない」

――岩隈のリリーフについて
「慣れないことをやらせて力んだんでしょう。制球ミス。真っすぐはストライクを投げるな、低めの変化球で勝負と口を酸っぱくして言っていたんだけど。すべて私の責任であります」

――第2ステージを振り返って
「短期決戦はチームの力が一番出る。監督の選手への教育、指導が出る。日本ハムの選手は野球をよく心得ている。力の差はないが、日頃の教育が大事だとしみじみ思う」

――それでも、4年間で監督の教えは浸透した
「浸透していないでしょう。今日も8回だな。だめ押しが欲しいところで日本ハムは田中がカウント1―2からストライクを見送った。あの姿勢ですよ。結果は凡打だけど、出塁の可能性を広げようとしている。うちの選手はヒットを打つことしか考えていない。そういう野球がしたかった」

――両チームの選手から胴上げされた
「日本ハムにも稲葉や坪井とか一緒にやった連中がいて、お別れをしてくれた。感無量というか胸が詰まった。縁だよ。縁を持った人がユニホームを着て頑張っているのは喜ばしいこと。人間何を残すか。人を残すのが一番。少しくらいは野球界に貢献できたかなと。そういう心境です」



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――岩隈の交代と本塁打について
「投手コーチを通じて投げる気があるのか確認したら、『いつでも行きます』と力強い返事だった。まあ、終わってから言っても仕方ないんだけど、一塁が空いているから歩かせろと言ったんだけど、岩隈は勝負したいと。結果はおれが責任を持てばいいこと」

――試合中、バント処理をした中谷を説教していた
「説教というか本能でしょう。一、二塁でフライが上がって打者は走っていないんだから、わざと落として併殺をとれと。教えることじゃない。野球選手の本能。ああいうところですよ」

――最後は日本ハムファンからも声援を受けた。胴上げの気分は
「野球屋みょうりに尽きる。照れくさいやろ。こんな胴上げは初めてだ。予感はしていた。山崎(武)が音頭を取っていたから。高く上がった? (体が)軽くなったのかな」

――日本ハムの稲葉とも言葉をかわしていた
「日本シリーズ頑張れよと。『長い間ありがとうございました』と言っていた」

「チームにとってはこれでいいんじゃない。段階を踏んでいって。ビッグゲームに負けて得るものが多々ある」

―― 一番の思い出は
「今年がすべてじゃないの。2位でCSを決めたとき、第2ステージへ行く権利をとったとき。わがままを言わせてもらえば、もう1年やらせてもらいたかった。選手にまだ、やって欲しいことがあった。日本ハムは油断やスキを突くことができる。おれの大好きな無形の力。そこが差だった。(来季は)ネット裏から見ていきますよ。楽天の変貌(へんぼう)ぶりを」



何故か、1987年秋の川崎球場を思い出しました。
いわゆる消化試合のロッテオリオンズ対南海ホークス。
翌年以降の激動を何も感じることの出来なかった、秋空の下でのデーゲーム。

良くも悪くも牧歌的だったパ・リーグが、懐かしいのです。

私はその時代に接することが出来ませんでしたが、まだ西鉄ライオンズの香りを残す選手の方も居られました。
今、1987年のパ・リーグを思い出させるものは一体・・・?

20年後、パ・リーグはどうなっているのでしょう?
その時、ゴールデンイーグルスというチームがどうなっていることやら・・・。

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Author: 番記者O on 2009年10月25日
Category: news
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