被爆電車 半減

asahi.com

原爆で被災しながら、補修を重ね戦後60年以上走り続けてきた広島電鉄の「被爆電車」4両のうち2両が、26日のダイヤ改定を機に現役を「引退」する。広電では残る2両の運行は当面続けるとしているが、町を走る被爆電車の半減を惜しむ声も強い。一方、広島市市交通科学館(同市安佐南区)に展示するため、今回引退する1両の寄贈を受けたいと広電に申し入れた。(福家 司)

広島の戦後を走り抜けてきた訳ですか・・・。

昨年あたり、テレビ番組で見たような・・・?

4両は長さ12メートル、定員80人で、被爆3年前の1942年に製造された。当時としては画期的な左右に開く2枚の扉を持つなど、最新鋭の大型車両だった。被爆当時、袋町や江波、宇品付近で被爆し、半焼1両、大破2両、小破1両の被害を受けた。

戦後も冷房機器を取り付けるなど補修、改造を重ねながら、復興する町を走り続け、走行距離は1両当たり約260万キロに達する。毎年8月には「被爆電車に乗って被爆体験を聞く会」にも使われてきた。

しかし、被爆電車はモーターの出力が他の電車に比べて小さいため速度が遅く、特に近年は高性能な電車が増えたせいもあり、朝のラッシュ時間帯には「被爆電車」を先頭に多くの電車が数珠つなぎになることもしばしばだった。

このため、広電では26日から、ともに江波車庫で被爆し大破した2両の営業運転をやめ、「休車」とする。これに対し、市が今月、うち1両の寄贈を広電に申し入れた。市文化スポーツ部では「被爆しながら戦後も使われてきた貴重な交通資料」として、科学館の屋外に屋根を付けて展示する方針で、来月下旬にもセレモニーを実施したいとしている。

戦時中にあった広島電鉄家政女学校の生徒として「被爆電車」を運転した経験を持ち、自らも広島駅で乗務中に被爆した藤井照子さん(78)=福山市蔵王町=は「新しい大きな電車だったので、男性が運転することが多く、自分が運転したのは2、3回だったと思う」と振り返る。今回の一部引退について「寂しい気持ちはあるが、電車には、よくがんばってくれた、と感謝の気持ちでいっぱいだ。引退するときには、お礼の気持ちを込めて、車内をふいてあげたい」と話している。

関連している?投稿@Simple Tags

Author: 番記者O on 2006年6月21日
Category: topic
タグ: , , , , , ,

Leave a Reply

Last articles