『1リットルの涙‐難病と闘い続ける少女亜也の日記』
木藤亜也 著
幻冬舎 2005
真夏の強い陽射し。
遥か彼方に見える、湧き始めたばかりの入道雲。
日陰のかけらすら無い道を、私は汗を流しながら歩いている。
顔を流れた汗は、拭う間も無く顎から滴り落ち、アスファルトへ吸い込まれていく。
私が歩いた跡に、何かが残る訳ではない。
何かが新たに生まれる訳でもない。
一滴一滴の汗ですら、やがて跡形も無く消えていく。
最初から、誰ひとりとして歩いていないかのように。
灼熱の太陽の下、街を歩くのは容易ではない。
立ち止まれば、歩いているときとは全く異なる想いを抱く。
例えば、冷房のよく効いた書店に入った時の気分は格別だ。
心地良過ぎるくらいの冷気と、新刊書の香り。
通販では味わえない何かを、夏の書店に求めてしまう。
いや、しかし、目的の有無は多分関係が無い。
書店に入るのは、そこにたまたま書店があったから。それだけのこと。
気になる何かがあれば、立ち寄ることが出来る。
歩いていると、気になる何かが見えてくる。
昔、歩くことは、むしろ苦痛だった。
両親に連れられて歩いた歩行者天国の雑踏の雰囲気は好きだった。
でも、足の痛みは苦だった。
遠足で見る景色は斬新だった。
でも、歩みののろさから列を乱してしまうことが常に心の重荷だった。
今、歩くことが、とても好きである。
いつの頃からか、苦よりも楽が勝っている。
暑さとか、寒さとか、足下の悪さとか、距離の長さとか、
取るに足らないはずのものが苦になりがちではあるけれど。
日常であれ旅先であれ、歩きたくなる。
私が歩いたことは、全てが記録に残るものではない。
私が生きたことは、全ての記憶に残るものではない。
それでも私は、歩いている。
自分自身の足で、大地を踏みしめる。
このくにの大地の上で、小さな存在の自分が、一歩一歩進んでいる。
空の広さ、海の大きさに比べ、あまりにも小さな存在。
大きな足跡を残しはしないが、地上に存在していることは確か。
自分の存在を確かめるために、歩いているような気がする。
単なる自己満足に過ぎないけれど。
そこを歩くことが出来るのは、今だけかもしれない。
いつか、歩くことが出来なくなる日が来るのかもしれない。
その日がいつなのか、想像もつかない。遠い未来か、明日なのか。
一体、いつまで歩くことが出来るのか、考えながら歩いている。
書店でふと手にした本に、次のようなことが記されていた。
わたしは、道を歩くのが大好きです。
中一のころ、視聴覚センターから家まで五キロくらい歩いたことがあります。
道端に咲いている草花を摘んだり、青い空をながめたりして歩いていると、ちっとも苦痛ではないのです。自転車よりも、自動車よりも、歩くことが好きでした。
ああ、一人で歩くことができたらなあ……。
(16歳──苦悩の始まり)
我慢すれば、すむことでしょうか。
一年前は立っていたのです。話もできたし、笑うこともできたのです。
それなのに、歯ぎしりしても、まゆをしかめてふんばっても、もう歩けないのです。
涙をこらえて、
「お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、立つことができなくなりました」
と紙に書いて、戸を少し開けて渡した。
顔を見られるのがいやだったし、母の顔を見るのもつらかったので、急いで戸を閉めた。
トイレまで三メートル這って行く。廊下がひんやりと冷たい。足の裏は柔らかく手の平のよう。手の平と膝小僧は足の裏のように硬くなっている。みっともないけど仕方がない。ただ一つの移動手段なんだから……。
後ろに人の気配がする。止まってふり向くと母が這っていた。何も言わずに……床にポタポタ涙を落として……。押さえていた感情がいっきに吹き出し、大声で泣いた。
しっかりと抱いて、泣きたいだけ泣かせてくれた。
母の膝がわたしの涙でびしょ濡れになり、母の涙がわたしの髪を濡らした。
(19歳──もうダメかも知れない)
歩けた! おばあちゃんにもたれかかって、公園につれて行ってもらう。土いじりがしたかった。土の上に足の裏を乗せてみたくなり、車椅子の足台から、そっと地面に足を降ろしてもらう。ひんやりとしたいい気分!
(20歳──病気に負けたくない)
予告編を見ただけで涙が溢れてきた、「見に行きたい」と思っていた映画の原作だった。
それから数時間、歩くことを休み、何度も繰り返し読み続けた。
いつか歩けなくなる日を迎えたら、そのとき、私はどうするのだろうか?
日々の微妙な変化から自分自身に起きている異変を感じることが出来るのだろうか?
異変を自覚したとき、異変に目をそらさずにいられるのだろうか?
空を、街を、大地を、同じ色彩で見続けることが出来るのだろうか?
自分が歩いてきた道を、どのような想いで振り返るのだろうか?
今の私には、歩くことが出来る。
今の私でしか感じることの出来ない想いを、抱くことが出来る。
「歩く」ということがかけがえの無いことだと、今の私には分かるような気がする。
歩ける限り、私は歩き続けたい。
私の歩いた跡が、幻の如く消えていくとしても。
〔追記〕
映画ですが、当分の間、上映会を通じて見ることが出来るようです。
機会を作って、見に行きたいと考えております。
詳細はオールアウトさんのサイトをご覧ください。

1リットルの涙
1リットルの涙 in TABASCO PEPPERさんで知りました。
1リットルの涙
映画については制作したALL OUTへ
生きていることを考えて。
映画を観た。
原作は、脊髄小脳変性症という今の医学では治すことは出来ない病気にかかった方の日記を纏めたもので、病気、障害、そしてまわりの苦悩と優しさを書き綴っている。
十年以上もかけて徐々に体の自由が利かなくなり、歩くことも立つことも出来なくなっていく。
彼女の強さや弱さや優しさが、一緒にいる家族や友達の思いが、観ていて心うたれた。
今、僕は、生きたいって思うことがどんだけあるか。
映画の前に、同じ病気にかかった車椅子の男性が舞台上であいさつをしたのですが、「今まで生きてきてありがとうと思って流した涙の方が多い気がします。」というようなことを言っていました。
そういう気持ちが持てる心の強さに、早く僕も気付かなきゃ。